愛西土地改良区と地域を同じにする旧稲枝町は、昭和43年4月1日に彦根市に併合され今日に至っているが、もともと昭和30年1月1日に旧稲枝、稲、葉枝見の3ヵ村が合併して出来たものである。
当地域は湖辺特有の排水不良地帯であり、大正の初期頃より耕地整理事業が実施され排水改良が図られたこともありましたが、事業が小規模であったため十分な成果を上げることが出来なかった。
従って、その後関係3村当局者によって大規模な排水改良事業計画が樹てられたが、それも結局実施されるに至らず年月を重ねていった。
しかしながら、昭和25年度から愛知川上流で国営愛知川土地改良事業の調査が開始されるに至って、当地域における排水改良事業の要望は急速に高まり、昭和25年10月に初めて協議会が開催された。
その後、土地改良事業施行へ向かって力強い住民の決意により、昭和27年1月23日愛西土地改良区期成同盟会結成大会を開催し、上流部での大規模なダム計画をはじめとする用水改良及び開拓事業が当地域により多くの洪水被害をもたらすと恐れられたため、愛知川総合開発事業の一環として関係3村の排水事業を早急に実施すべく立ち上がった。
その後、事業計画は着々と進められ昭和28年2月14日に県営事業計画が県及び農地事務局に提出されたが、あいにく同年3月衆議院が解散し4月19日総選挙のため新年度予算も大幅に遅れ、また6月に九州地方、7月に和歌山県下が大水害に見舞われたため、新規事業の採択は全国的に延期された。
さらに事業計画内容の修正等を踏まえ、昭和31年8月4日開かれた農林省議で当地区の県営かんがい排水事業の採択が正式に決定された。
期成同盟会結成後から実に満4年6ヶ月もの年月を費やしており、それが如何に久しく待ち望まれていたか、同会記録簿に「鳴呼此の報幾年ぞ」との感想が付記されていることからも十分に伺えるものである。
こうして昭和32年度に入って土地改良区の設立と県営事業の着工の準備が急ピッチで進められ、8月22日には愛西土地改良区設立認可申請が県知事宛提出され12月3日に認可、続いて役員選任及び総代選挙が行われて昭和33年3月31日開催の第1回通常総代会で、愛西土地改良区が正式発足し幕開けとなった。その後、県営、団体営事業等により基盤整備事業,他各種土地改良事業を着々と進められてきた。
また、平成5年4月1日には、近隣の曽根沼土地改良区(旧稲枝町内)を併合し、旧稲枝町が一体となり運営し現在に至っている。